赤面しない人生

夫の膣内射精障害によりスポイトを使ったセルフ人工授精で妊娠・出産した女の記録です

お母さんの事を嫌いになりたくないからゆっくり親離れしたかった

妊娠出産に関係ない話ですが最近の悩み事を吐き出す場所がないので親と子、母と子の問題につながるという事で、この場を借りて

 

瀧波ユカリさんのエッセイ漫画最新話を読んでいて死ぬほど共感した

crea.bunshun.jp

 

流行りの言葉【毒親】ザックリ定義としては文字通り【子供にとって毒になる親】なのでしょうが、これって結局子供からの主観でしか判断することが難しい問題。世間から見れば立派な親であったり社会人であっても子供からすればクソ親ということはままあるわけで、かといってクソ親だから毒親かといえばそうでもないようで。果たして私の親は毒親なのであろうかといろいろ考えては答えを出せずに日々悶々としています。

瀧波さんのお母さんを見ていると私の母かと思うほどに苛烈さが似ている。話を聞かない加減とかゴーイングマイウェイ(古)ところとか。

母や結婚をしないままに私を生んだ。所謂シングルマザーだ。しかし当然ながら父親はいる。私は2歳まで父親と一緒に母の父母と暮らしていたらしい。訳あって入籍できなかった父と母は訳あって離別をした。それ以来は私は父とは一度もあってない。婚姻関係になかったので慰謝料や養育費も当然発生していない。そもそも父親は生活破綻者だったので、たとえ決められていたとしても払えなかったのだろうな。私の人生に父親という存在はそれ以降表れることもなく私は大人になり結婚し親となった。父親はすでに亡くなっていると風のうわさで聞いたが、悲しいとも寂しいとも思わなかった。振り返ってみても会いたいとか考えたことがない。よくお涙頂戴の再開番組で生き別れた家族を探して再会して号泣という場面を見るが、共感したことなど一度もない。何故ならば不要だったから。私にとっての父親は母親であり、母親が父親であった。祖父母と同居していたというのもあるだろう。家事をする祖母、働く母、遊び相手の祖父。私の人生で父親の記憶がないというのは幸福なの事だった。おそらく失えば喪失感や寂しさは募っただろう。2歳の幼児が突然消えた父親を思って泣いたとしてもそれは一過性だと今ならわかる。母親が常に傍にいれば満たされる。それが幼児だ。しかし、父が去った時の母はどんな気持ちだったのだろうか。今私から夫が去ってしまい子供が残されたら。今にも崩れ落ちそうな崖に立たされる思いだ。それを思えば、私のここまで育ててくれた母には感謝しかない。生活に不足はなく、おそらく過分に愛情を物量でぶつけられて育てられた自覚はある。平均的な学歴と常識と生活力を学ばせてくれた。借金はしない。よそ様に迷惑はかけない。挨拶と謝罪をためらってはならない。振り返ればきちんと育ててもらったと思う。

しかし母といると果てしなく疲れるのだ。人の話は聞かない。思い込んだらすぐに動かないと気が済まない。言いたいことは言ってしまわないと気が済まない。この世で一番正しく偉いの自分であり、自分をないがしろにするものは全て敵であり悪である。白か黒か1か0かでしか物事を判断できない。そのくせ情に甘く自分に甘い。人を甘やかしたく、貢ぎたい。しかし損は絶対にしたくない。ありとあらゆる他人は隙あらば自分を貶めようとしている。それが母だ。寂しさとわずらわしさを選べと言われたら寂しさをとると豪語していた母だ。

そんな母が寂しさに負けて同居したいと言ってきた。私はいいよと即答できなかった。結婚してからも子供が生まれてからも手を尽くして金銭的にも精神的にも肉体的にも助けてくれた。子供たちも全力で慕い甘えている。そんな母との同居を私は確実にためらった。もし同居したら、私の精神が休まる日はずっと来ない。確信めいた予感に心が折れそうだった。そして何よりの要因は夫と母が水と油どころではなく、マグマと成層圏並みに合わないのだ。悲しいくらいにそりが合わない。悲しい。結婚してから何度となく夫とのことで母と揉め、母はその度に絶縁を宣言し、日々によって勝手に水に流し元鞘におさまりの繰り返し。それを繰り返すたびに私の精神はガツガツと削れ疲弊し暗黒の世界に落ちていった。回を重ねるごと母への期待や愛は薄れ、与えられるものだけに素直に感謝し、母の生活には口を出さず要求もせず穏やかな親離れをしようと決意した矢先の出来事だった。

私は夫と結婚し小さなアパートで夫と二人暮らしをするまで親から離れたことがなかった。愛する夫との穏やかな日々。こんなに平和で幸せな日常があるのかと私は知らなかった。私の話を遮らず怒らず聞いてくれ、人の悪口を言わず、私を尊重してくれる夫。ああこれが幸せなのかと痛感した。子供が生まれて殺意を抱く日もあるが、夫への感謝は尽きない。

母と暮らす、それは、私が得た夫婦穏やかな日常を手放すのと同意義なのだ。怖い。不安と恐怖でしかない。誰か助けてほしい。逃げ場のないこのどん詰まり感。

死んでしまったほうが楽なのではないかと思うほどに悩みぬいている。しかし私が死ぬと事はこじれにこじれるだろう。悲しみ辛い思いをするのは間違いなく夫と子供たちだ。人工的な手段を使ってまで手に入れた子供たちを悲しませたり辛い境遇におくのは本意ではない。でも私はクズなので、自分が楽になりたいとまず考えてしまう。いっそ、母が死んでくれないかとさえ思う。こんな私は親不孝なのだろう。