赤面しない人生

夫の膣内射精障害によりスポイトを使ったセルフ人工授精で妊娠・出産した女の記録です

妊娠できない女の価値

世間では妊娠できない事を拗らせた女のことを「不妊様」と呼ぶらしい。不妊を理由に、妊婦や子持ちに対する態度が過激化したリ自分を悲劇のヒロインのように演出するところから、揶揄的に「様」付で呼ばれている。よく思いついたなぁと感心。

 

前回スポイト妊娠に至るまでの期間、私もうっすら不妊様に足を突っ込みかけていた気がする。今回も同様だ。言葉にするわけではないが、妊婦や乳児を抱えた人への視線には羨望と嫉妬が複雑に入り混じるし、知人の妊娠報告には喜びながらも敗北感と嫉妬心と焦燥感がこみあげてきて地団太を踏みたくなる。これが表に出るるようになってしまった状況が「不妊様」なのだ。他者に悪意や危害を加えるようになるのはよくない事だが、思ったり考えたりするくらいは人間なので許してほしい。

 

なぜそこまで?と思う人もいるだろうが、これは妊娠を望んで妊娠する努力をしているのに妊娠できない状況に陥ったことがある女にしかわからないだろう。

何故なら、妊娠できない=生物として欠損しているという本能的な恐怖が原因だと私は考えている。いくら人間が文化的に進化しようとも、所詮は生物だ。子供を産み育てるということが原始的な存在意義としてDNAに刻み込まれている。その根源たる生殖行為を正常に実行的ないというのは、生物として無価値なのではないかという恐怖を呼び起こさせるのだと思う。みんな口には出さなかったり自覚してはないだろうが、妊娠できない状況というのは女を狂わせるに十分な理由になると思う。何故ながら「お前は生き物として駄目だ」と突きつけられているも当然だからだ。「そんなことない」と慰めの言葉を手向けてくれる人もいるが、当人にしてみれば「そんなことある」のである。女にとって不妊という状況は生物として「できそこない」というレッテルを張られているも同然といえる。知人の30手前未婚女性が健康診断を受けたところ「不妊の原因になるかもしれない症状」が発見された。彼女は結婚の予定もないし結婚願望もないと宣言したいたが、判明した直後は必死にそれを治療していた。結婚欲求と妊娠欲求はもはや別物だ。理性では制御できない部分だと思う。

 

男性だって「あなたは無精子症です」と言われたり不妊であると突きつけられれば虚無に襲われるだろう。が、女性の不妊はそれ以上の衝撃に値すると思う。男性に例えるならEDかそれ以上だ。男にとって「不能」だと断言されることほど辛いことはないのではないだろうか。

以上を踏まえて、妊娠できない女が抱える苦しみに男性は少しは思いを巡らせておいて欲しいと考えるのは傲慢かもしれないが、ほんの少しだけでも汲み取ってほしいと思う。特にパートナーがそうであるならば。

だからといって妊婦や子持ちに敵意を向ける不妊様が容認されるべきだとは考えていないのであしからず。

  

しかし、人間は文化的社会生活という生物としての本能とは別の生活様式を持っているので、パートナーの存在であったり打ち込める趣味であったり子供以外の愛を注げる存在などの「妊娠欲求」を打ち消す代償的なものがあれば、不妊の女も狂わずに生きていくことができる気がする。そう考えると人間でよかったなぁ。自然界なら妊娠できない個体は淘汰されていくしかないのだから。

 

ああ、妊娠してえなぁ