赤面しない人生

夫の膣内射精障害によりスポイトを使ったセルフ人工授精で妊娠・出産した女の記録です

3人目を授かりました

御無沙汰しております

月経カップを手に入れ、とても快適スムーズな生理期間を手に入れた途端に不要になる人生ケセラセラ
無事にシリンジ法で3人目を孕みました

月経カップ、とてもいいですよ。慣れてしまえばなんの問題もない!体内にシリコンカップを挿入して経血を溜め込むという、布ナプキンにはじまる自然派に真っ向逆流するやり方ですが、恐らく生理対策としてかなり革命的かつ快適な存在かと。初期費用以外はほぼかからずゴミも出ない洗濯も必要ないかなりエコなシステム。潔癖消費システムが一般的かつ商品流通化している日本では商品として発売されにくいだろうなぁ。安価な中華製品がこれ以上出回る前にどこか日本製で作ってくれないだろうか。
布ナプキン系は一度試してみましたが、アレ結局なんの役に立つのだろう。手間暇だけかかった気がしてならない。化学繊維より肌に優しいから婦人系のアレにアレだよ!ゴミも出なくて環境にいいよ!的な追い詰めは布おむつに通じるものがある。やりたい人はやればいいとはと思いますが、正直自己満足のなんちゃってナチュラリズムだよね。

さて話は戻って妊娠中。今回はチャレンジ2回目にしてヒット。妊活とは別に夫婦のセックスを再開してなれてきたところでシリンジ法という流れだったので、セックスなし妊娠という危惧は杞憂に終わりました。思いきって子供部屋で子供たちを寝かして寝室を完全分離したのが効を成したようです。大人だけで寝る快適さプライスレスです。
現在はつわり地獄の1丁目。既に五キロほど痩せフラフラしてます。もう体質だからと諦めてます。子供二人いたらそれどころじゃないけど。気がつけば夜で朝。早く終われよつわり地獄。

月経カップが気になります

ご無沙汰しています

前回の地獄のような記事から早、数ヶ月。いろんなところが収まるところに収まって何とか呼吸ができています。

3人目について夫との激論を繰り返し、9月に一度チャレンジしてみようかという事になりました。これまでかなりの高確率でシリンジ妊娠を成し遂げてきましたが、前回から3年、初回からは6年経過しているので、肉体的にも確率は下がってきているでしょう。どうかの成功を祈っていてください。

そんなわけで生理周期を記録しているのですが、今はアプリで管理できるのですごく楽ですね。周期記録バッチリ。今回は基礎体温は計らずに周期だけでやってみようかと思います。私、排卵期がものすごくわかりやすくて卵でも割ったのかと思うほどの大量のおりもの+排卵痛で排卵日が肉体的に感じられます。そこからきっかり2週間で生理が来るので我ながら凄いなって思う。しかし妊娠しなくてもやってくる排卵とそれに伴う月経の非生産的かつめんどくさいことよ。いろいろ本当にめんどくさい。月経も気持ち悪いの極みだし。月経カップ買ってみたい。

夫は私でイケませんー「夫のちんぽが入らない」感想

突然ですが、セックスしてない暦2年を過ぎました
妊娠中は致し方ないにしても、産後一度もそういう雰囲気にはならず
1人目の時も1年近くご無沙汰だったのでそういうもんかと思ってましたが、世の中には年子で3人というご家族もいらっしゃる不思議
寂しいというのも事実ですが楽なのも事実
このまま一度もないままに、またスポイトで精液だけを注ぎ込んで子供を作るのかと考えると切なくもあり
かといってセックスをしたからといって満たされる訳でもないのです
夫は私のなかでは決してイケないのです
私が悪いのか夫に問題があるのか
答えは見つからないまま、私と夫という関係が刻んだ年月は二桁を迎えようとしています
普通にセックスができない
誰とも共有できず相談もできないこの悲しみと辛さと後ろめたさは何処に向かうのだろう
それでも私は子供が欲しかった
ひとりっこである物悲しさを埋めるためにふたり産んだ
今、まさに3人目について思いを巡らせている
なんて業が深いのだろうか

そんな私の心を埋めてくれた本
「夫のちんぽが入らない」こだま著
f:id:mantohihimukai:20170125195503j:plain

タイトルだけならフランス書院文庫のようなタイトルだが、内容は最高にロックだ
このタイトルしかありえない
タイトルで尻込みしないで皆、手に取って欲しい
この本で語られる女性は私でありこのブログを読んでいる誰かだ
普通にできることができない
明確な言語にすることができない後ろめたさと悲しさと辛さと、それでも伴侶がいるという、つっかえ棒1本で支えられる不安定な人生
こだまさんが抱えるものは私か共感したなどと口にしてはけいけない
けれど、4章目を読んでいるとき、私ははらはらと涙を流していた
何故と問うことができないという何故を理解できる人ならば読んでもらいたい 
きっとこの本の何処かに貴女がいるはずだ

お母さんの事を嫌いになりたくないからゆっくり親離れしたかった

妊娠出産に関係ない話ですが最近の悩み事を吐き出す場所がないので親と子、母と子の問題につながるという事で、この場を借りて

 

瀧波ユカリさんのエッセイ漫画最新話を読んでいて死ぬほど共感した

crea.bunshun.jp

 

流行りの言葉【毒親】ザックリ定義としては文字通り【子供にとって毒になる親】なのでしょうが、これって結局子供からの主観でしか判断することが難しい問題。世間から見れば立派な親であったり社会人であっても子供からすればクソ親ということはままあるわけで、かといってクソ親だから毒親かといえばそうでもないようで。果たして私の親は毒親なのであろうかといろいろ考えては答えを出せずに日々悶々としています。

瀧波さんのお母さんを見ていると私の母かと思うほどに苛烈さが似ている。話を聞かない加減とかゴーイングマイウェイ(古)ところとか。

母や結婚をしないままに私を生んだ。所謂シングルマザーだ。しかし当然ながら父親はいる。私は2歳まで父親と一緒に母の父母と暮らしていたらしい。訳あって入籍できなかった父と母は訳あって離別をした。それ以来は私は父とは一度もあってない。婚姻関係になかったので慰謝料や養育費も当然発生していない。そもそも父親は生活破綻者だったので、たとえ決められていたとしても払えなかったのだろうな。私の人生に父親という存在はそれ以降表れることもなく私は大人になり結婚し親となった。父親はすでに亡くなっていると風のうわさで聞いたが、悲しいとも寂しいとも思わなかった。振り返ってみても会いたいとか考えたことがない。よくお涙頂戴の再開番組で生き別れた家族を探して再会して号泣という場面を見るが、共感したことなど一度もない。何故ならば不要だったから。私にとっての父親は母親であり、母親が父親であった。祖父母と同居していたというのもあるだろう。家事をする祖母、働く母、遊び相手の祖父。私の人生で父親の記憶がないというのは幸福なの事だった。おそらく失えば喪失感や寂しさは募っただろう。2歳の幼児が突然消えた父親を思って泣いたとしてもそれは一過性だと今ならわかる。母親が常に傍にいれば満たされる。それが幼児だ。しかし、父が去った時の母はどんな気持ちだったのだろうか。今私から夫が去ってしまい子供が残されたら。今にも崩れ落ちそうな崖に立たされる思いだ。それを思えば、私のここまで育ててくれた母には感謝しかない。生活に不足はなく、おそらく過分に愛情を物量でぶつけられて育てられた自覚はある。平均的な学歴と常識と生活力を学ばせてくれた。借金はしない。よそ様に迷惑はかけない。挨拶と謝罪をためらってはならない。振り返ればきちんと育ててもらったと思う。

しかし母といると果てしなく疲れるのだ。人の話は聞かない。思い込んだらすぐに動かないと気が済まない。言いたいことは言ってしまわないと気が済まない。この世で一番正しく偉いの自分であり、自分をないがしろにするものは全て敵であり悪である。白か黒か1か0かでしか物事を判断できない。そのくせ情に甘く自分に甘い。人を甘やかしたく、貢ぎたい。しかし損は絶対にしたくない。ありとあらゆる他人は隙あらば自分を貶めようとしている。それが母だ。寂しさとわずらわしさを選べと言われたら寂しさをとると豪語していた母だ。

そんな母が寂しさに負けて同居したいと言ってきた。私はいいよと即答できなかった。結婚してからも子供が生まれてからも手を尽くして金銭的にも精神的にも肉体的にも助けてくれた。子供たちも全力で慕い甘えている。そんな母との同居を私は確実にためらった。もし同居したら、私の精神が休まる日はずっと来ない。確信めいた予感に心が折れそうだった。そして何よりの要因は夫と母が水と油どころではなく、マグマと成層圏並みに合わないのだ。悲しいくらいにそりが合わない。悲しい。結婚してから何度となく夫とのことで母と揉め、母はその度に絶縁を宣言し、日々によって勝手に水に流し元鞘におさまりの繰り返し。それを繰り返すたびに私の精神はガツガツと削れ疲弊し暗黒の世界に落ちていった。回を重ねるごと母への期待や愛は薄れ、与えられるものだけに素直に感謝し、母の生活には口を出さず要求もせず穏やかな親離れをしようと決意した矢先の出来事だった。

私は夫と結婚し小さなアパートで夫と二人暮らしをするまで親から離れたことがなかった。愛する夫との穏やかな日々。こんなに平和で幸せな日常があるのかと私は知らなかった。私の話を遮らず怒らず聞いてくれ、人の悪口を言わず、私を尊重してくれる夫。ああこれが幸せなのかと痛感した。子供が生まれて殺意を抱く日もあるが、夫への感謝は尽きない。

母と暮らす、それは、私が得た夫婦穏やかな日常を手放すのと同意義なのだ。怖い。不安と恐怖でしかない。誰か助けてほしい。逃げ場のないこのどん詰まり感。

死んでしまったほうが楽なのではないかと思うほどに悩みぬいている。しかし私が死ぬと事はこじれにこじれるだろう。悲しみ辛い思いをするのは間違いなく夫と子供たちだ。人工的な手段を使ってまで手に入れた子供たちを悲しませたり辛い境遇におくのは本意ではない。でも私はクズなので、自分が楽になりたいとまず考えてしまう。いっそ、母が死んでくれないかとさえ思う。こんな私は親不孝なのだろう。

3人目の壁

ご無沙汰してます

タイトルの通り、ただいま我が家は3人目に進むべきか諦めるべきかの瀬戸際に立ちすくんでいる
ご存じの通り自然に任せるという選択ができないので、作る努力をするのかしないのかのTHE2択
どうしても欲しかった一人目、兄弟姉妹が欲しかった二人目、じゃあ3人目は?
大義名分がないと子供を作ることすらできないのかと言われるでしょうが、昨今の幼児連れに対する世間の冷たさよ
優しい人も確かにいるけど、冷たい人の攻撃力半端ない
確固たる理由がなければ産んで育ててゆくときに、やっぱり産まなければ良かったと思いそうな自分が怖い
現在ですら二人育児がキャパシティを超えて叫びそうなのにね

生殖かセックスか

我が家の第二子も1歳を迎えようとしています。一人目の時とは違い「経験している、知っている」ということは子育てにおいて大きな余裕を生むようで、深く思い悩むこともなく穏やかな育児生活を過ごしております。(それ以上に悩ましいことがあるから気にしている暇がなかったというのも事実)

 

さて、産後1年もたてばそろそろ夫婦生活をオープンシーズンしちゃう?という話題になるのですが、いかんせん夫が乗り気ではない。正直私も乗り気ではない。もうセックスという行為を楽しむ、という感情も環境もない。幼子二人と一緒に寝ている状況でだいたいどこでするんだよ。床か?畳か?子供たちが寝てるのを確認して起こさないようにオセッセ。いやいやムードとかないわ。私も二人の母となり、念願だったおばちゃん化を果たし、夫も気軽なソロ活動生活を充実させている今、わざわざセックスをする意味があるのか。いやない。これぞセックスレス生活。

ここでどちらかが現状に不満があれば夫婦生活に大きなヒビが入るのでしょうが、幸いなことに我が家はどちらも淡泊かつ面倒くさがりなので、セックスに対して興味も執着もないのです。しかしご安心なされよ。一緒に風呂は入るし、抱き合ったりキスをしたりは日常。お互いに触りあうことはある。本番行為だけが果てしなく彼方先なのだ。

3人目は欲しいと思っている本音は隠し切れず。自然の流れに任せてみる?ができない夫婦である以上、残る手段は先の二人を妊娠したのと同様シリンジ法なのだが、セックスもなしにシリンジだけで妊娠しようとしてもいいのか?これは自然に逆らってるのじゃないか?などど今更な感情で苦しんでみたり。

生殖活動=子孫繁栄と考えれば、シリンジが確実である以上、そこにセックスは必要ないとは思う。でもセックスもせずに生まれたのだと子供に知られたらどうなんだという不安すらある。一人目はセックスの末のシリンジ、2人目はシリンジありきのセックス、三人目はセックスなしでシリンジ。こんな三段跳びがあっていいのか?夫婦そろって口をつぐんでいれば誰も知らない事実なんだから、何を恐れることがあろうかと思うのだが、なんとなく、不安なのだ。じゃあ、セックスすれば?という話になるけど、簡単にセックスできればやってるよ。やる気が起きないしやれないんだよ。

世の中には楽しいから気持ちいいからと、簡単にセックスをする人もいるという。一日でいいからそのポテンシャルとフィジカルを貸してほしい。

そしてまだまだ悩みは尽きない。PMSと男女産み分けについて。

ご無沙汰しております。

昨年秋に生まれた赤子は順調に成長しており、どこに出しても恥ずかしくないムチムチボディの元気な様子でございます。

 

私はというと、前回は復帰に1年半もかかったのに、今回は半年で女の機能が復帰し、生理前の合戦のごとく荒れ狂う精神にもがき苦しんでおりました。いわゆるPMSでありましょう。この状態は私自身および家族に大変よろしくないので、婦人科かサプリメントの服用を考えてみたいと思っています。あと、排卵痛がとても痛い。頭の悪い一文ですが、本当に痛い。排卵してるな・・・とわかるレベルで痛い。そして、おりものが卵を割った時の白身のようにドロドロ出てくる。これは正常なのか?と不安になるレベル。妊娠出産を経て年月を重ねた女の体には確実に変化が訪れているようです。

 

シリンジ法にて生まれた我が家の子供は二人とも女児です。とてもかわいいし、女児であることに不満は何もないのですが、やはり埋める可能性がある以上は男児も産んでみたいと思うのが人の常。男女産み分けについていろいろと調べてみるのですが、確実といわれる方法はあるようなないような。そして三人目に対する不安。保育園落ちた、に始まる有名になりすぎた例の話題じゃないですが、子供を気軽に生んで気軽に育てられるわけではないという現実を知っているだけに、軽々しく「作りたい」とは言えない。なりゆきにまかせるという方法もあるのでしょうが、我が家は作る気で作らなければ、まず妊娠に至る可能性はないし、そもそも基本セックスレスなので、まぁできませんね。それ故に我が家での3人目への道は長く遠く険しく、されど関門さえ抜ければ目の前という、歯がゆくもどかしい問題となっています。

 

子供を産み育てるという生物の基本中の基本の行為を行うのになぜこんなに悩み追い詰められなければならないのか。人間とは難儀な生き物であるといえよう。